「愛の涙、悲しみの涙、喜びの涙」

A. 神に立ち帰る

 千葉大大学院の工業意匠学科を修了し、カーデザイナーとしてトヨタ自動車に入社された星野隆三さんにとって、そこは自分のデザインが製品化され、充実感を味わえるはずの職場でした。しかし、「仕事」はできて当たり前の世界、そこに生き甲斐を見出すことはできなかったと言います。
 その頃、宣教師から英語を学ぶことで、自分の罪を知らされ、キリストの十字架の意味を知りました。神さまに立ち帰った時、「仕事」そのものの意味が変わり、主にお委ねすることで、最も良い表現ができ、神さまを賛美するようになったそうです。
 神さまに立ち帰ったとき、星野さんの仕事には新しい意味が与えられました。人生の根本的な問題は、神さまに立ち帰らなければ解決しません。神さまに立ち帰ることが、悔い改めです。

B.聖書より

神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。使徒言行録20章21節
 パウロが伝え、教えたのは二つのことで、その第一は、「神に対する悔改め」であり、第二は、「主イエスに対する信仰」でした。パウロの伝道は、この二つのことが中心となっています。この世の矛盾と人間生活の混乱は、私たちと神さまとの関係が狂っていることに原因があります。従って、早くこのことに気がついて、各人の心を神に向け、今までの罪を悔い改めて、神さまを中心にした生活を始めること、これが、パウロの伝道の第一です。そのような生活は、イエス・キリストの言葉に信頼をおいたときから始まります。それが主イエスに対する信仰なのです。

C. 音楽的挫折、失恋、そして救い  柳瀬 洋

 クリスチャンのクラリネット奏者、柳瀬 洋さんは、留学中のドイツで教授からこう言われ続けました。「あなたはとても器用に吹く。私がこう言えば、次にはちゃんとそのように演奏する。ただ人に言われたとおりの音楽をしても、それでは何の価値もない。それがあなた自身の音楽でなければ、あなたの心からの歌でなければ何の意味もないのです」と。どうすれば自分の心の中に、あふれるばかりの感性や感情を生み出すことができるのか。自信を失った柳瀬さんは、クラリネットを吹くのを怖いとさえ思うようになってしまいました。
 初めて味わう深い挫折感の中で、柳瀬さんは、学生時代のガールフレンドに結婚を申し込む手紙を出しました。ところが、約三ヵ月後、待ちに待った彼女からの返事は「NO」、と書かれていました。柳瀬さんは納得できず、急きょ、彼女に会いに日本に帰ります。なかなか会ってもらえない彼女にやっと会えると「・・・まだ結婚の可能性が残っていると、ウソでもいいから言ってほしい。そうすれば、ぼくはまたドイツでがんばれるから」と言いました。すると、彼女は大泣きしながら、「私の気持ちなんて何もわかっていないじゃない!」と言って全力で走り出して行ってしまいました。
 ドイツに戻ると柳瀬さんは、もう自分なんか死んだほうがいいとさえ思いました。自分が誠実な愛だと思っていたことが、相手を傷つけていたのです。元気がない中、柳瀬さんが聖書研究会に出席すると、いつものようにみんなで聖書を開きました。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」(コリント第一13:4〜7)。柳瀬さんは心がえぐられるような思いがしました。自分は寛容でも親切でもなく、ライバルをねたみ、すぐ自慢して高慢な態度になり、自己中心、自分勝手で怒りっぽく、人の悪は絶対に赦せないくせに、自分は隠れた所で不正を楽しんでいて、もろ手を上げて真理を喜ぶことができず、耐え忍ぶこともできない、という自分の本当の姿が照らし出されました。
 柳瀬さんは、キリストの十字架の贖いを受け入れ、洗礼を受けます。するとクラリネットを吹くのが楽しくなりました。自分を愛し、その命さえも惜しまずに与えてくださった方に、音楽で感謝と賛美をささげ、この神の恵みを、音楽で人々に届けることに、意味を見出したのです。

 

D.結び

 パウロが人々に伝えたのは、神に心を向けて自己中心の罪を悔い改め、神の御心を中心とした生活を始めることである。そのためには、キリストの贖いを信じて、キリストの言葉に信頼して生きるのである。
 心を神に向け、自己中心の罪を悔い改め、キリストの贖いを信じて生きよう。
 クリスチャンには、人をキリストに導くための愛の涙、悲しみの涙、喜びの涙があるのです。
 御翼2011年2月号その3より

 
  
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